昨日、1週間かけてゆっくり読み進めていた、川端康成『雪国』を読み終えた。ほとんど初めて最初から最後までしっかり読んだ日本純文学で、なるほどこんな感じなのか、と読み終えてからすでに半日経った今でも余韻が濃く残っている。
どの記事か忘れてしまったが、『雪国』はある記事で初心者におすすめだと読んでKindleにダウンロードしてあった。これまで、続けて現代日本小説を読んですこし気分を変えたかったので、今がタイミングだと思い、読むことにした。これはいい体験だったと思う。
読書記録
タイトル:『雪国』
著者:川端康成
フォーマット:Kindle
読書期間:2025/08/19-08/26
前半はすごく淡々と進み、島村と駒子、駒子と周りの人たちの人間関係の停滞感・もったり感でどんどん読み進めるというよりは、ゆっくり読んで、たまには前に戻って読み返しながら、進むのに時間がかかった。実際この読書期間3連休で旅行に行っていたのもあるが、それでも毎日タイミングを見つけて読み進めて結果本の66%にほぼ1週間をかけた。そして、後半の3割強、を一晩(1時間くらい)で読み終えた。
前半には、時に長くて細かい情景描写の部分が入り、これは話に必要なのだろうか、なんて思ってしまったりした。だが、この部分がなければまたそれはそれで味気のない、とても意味のない小説になってしまうだろうなと思った。読むのに忍耐力を必要とする小説。そのすべての文章が詩的で美しい、そして曖昧。あまり簡単に理解できないのもあって、たまに前に戻って読み返さないといけなかった。読み返すと、ああ、そういうことだったのか、なんて思うこともしばしば。そして、小説のあちこちに同じ表現がでてくるので、また、この言葉の並びだ、なんて思って、最初はよくわからなかった言葉にも親しみが出てくる。ああこういう文学が、ストーリーよりも文章の美しさに重きが置かれているものなんだな、と思った。
突然後半になると、劇的な場面が現れて、登場人物同士の会話も増え、一気に彼らの気持ちの動きが伝わってくるかと思ったら、最後の衝撃。その衝撃でショックで言葉がでないというか、口を開けたまま一瞬フリーズする感じを覚えた。その衝撃がまったく回収されずに話もすんと終わってしまう。読み終わった後は突き落とされたような、心臓が止まったようなショックを味わった。読み終わった後に前半の淡々と語られていた、島村の葉子に対する印象や駒子の言葉が今になって思い出され、納得させられるというか、こういう結末が待っていたのか、となんか人間の無意識な直感って怖いなと思う。
ちなみに、無為徒食で親のお金で何もせず、細君と子供を東京に置いたままふらふらと温泉宿に長期滞在し芸者と会っている主人公に関しては、まあ腹が立つし、そんな人間嫌だ。そんな男を気にする駒子も本当に男を見る目がないし、結局芸者なのもいろいろ考え始めたら哀れというか、ムカついてくる。ので、まあ感情移入はできない。駒子が葉子のことを気が違う、と表現していたが、葉子がどうにでもなるから東京に行きたい、連れて行ってくれ、という場面もなぜか恐怖感を感じた。文章が美しいし、最後に突き落とされるこの小説の構成が素晴らしいと思うから、本自体への評価は高いけど、登場人物とストーリー自体に関しては好きじゃない、でもそういうものも知らない世界を読むという点で、いい経験だと思う。
川端康成は海外でも評価が高い小説家で、ノーベル文学賞をもらっているが、こういう日本らしい美しい文章は、どう英語や外国語に翻訳されて親しまれているのだろうか、と少し気になった。こういう美しさって外国語で伝わるのだろうか、と。そこでGoodreadsのレビューをいくつか読んでみたが、全く同じで完全でないまでも、十分伝わっているようで、翻訳家ってすごいな、と思った。実際、『雪国』を英語に訳したエドワード・G・サイデンステッカーは「完璧には訳せない。でも、曖昧さの“雰囲気”をできるだけ伝える」というスタンスで訳したそうだ。

